プロフィール
白石隆生 (Takao Shiraishi)
1945年6月7日、東京生まれ。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ピアノ科卒業。1970年オーストリア政府給費留学生としてウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学卒業。1974年から1984年までウィーン・フォルクスオーパー副指揮者として専属契約。優れたアンサンブル・ピアニストとしても、多くの宮廷歌手やウィーン・フィルの首席奏者らと共演。著作・翻訳・楽譜監修や公開講座なども精力的で、数多くのコンクール審査員(長)歴任。CDの録音も多く、白石敬子のCDでは深い音楽性で演奏を支えている。国立音楽大学、桐朋学園大学、東京音楽大学・同大学院、明治大学、東邦音楽大学で教鞭を執り、尚美学園大学音楽表現学科長を務めた。湘南室内合奏団代表・指揮者として、地元藤沢市でも音楽活動に尽力。長年の演奏活動と文化交流に対し、ウィーン市名誉金賞が贈られた。2015年10月6日逝去
白石敬子 (Hiroko Shiraishi)
1945年2月1日、藤沢市生まれ。武蔵野音楽大学卒業、専攻科修了。国際RC財団奨学生としてウィーンに留学。ウィーン国立音楽大学を最優秀主席で卒業。1974年、国際コンクール(ヴィーニャス優勝、ミュンヘン第2位、ヴェルディ第3位)に入賞。1976年、日本人初のウィーン国立歌劇場の専属歌手として契約。著名な指揮者や宮廷歌手らと数多く共演。バルセロナ、ジュネーブ、プラハ、ライプツィヒなどの歌劇場と日本で《蝶々夫人》をはじめ、多くの主役を演じる。また、コンサート歌手としても活躍し、国内外でのリサイタルは200回に及ぶ。2000年よりCD録音を通し、芸術的に新境地を開拓。晩年は後進の指導にも尽力した。藤沢オペラコンクール等の国際コンクールの審査員を歴任。オーストリア共和国褒賞、国際RC財団学友賞受賞。2018年3月20日逝去。
現在、夫妻は、藤沢市大庭台墓園の9区2-11列に安らかに眠る。
奨学基金について
白石敬子は59歳の年に大腸ガンが発覚し15年間ガンと闘いながらオペラ歌手として活躍しました。最愛の夫で音楽パートナーであった隆生もガンで亡くし、本人は、ガンの転移や新しいガンの発覚などで十数回手術するなど入退院を繰り返したことで、医療への信頼と感謝の念を持っていました。敬子は帰国後に故郷である藤沢に住み、そして日本の活動の拠点とした藤沢市になにかお返しをしたいと考えていました。自身の残された時間が僅かだと知った時、財産の一部を奨学金として寄付することに決めました。医療教育への貢献として、自身も助けられた医学を志す学生の進学の一助に奨学金を使ってもらうこととしました。藤沢市の藤沢市教育応援基金に積み立て、給付型奨学金制度とするため、5,000万円の寄付を行いました。